一緒にいてしんどい友達

語学留学から正規編入に切り替えて、こちらの大学の普通のクラスを盗り始めたころ、割と早く専攻を決めた私は今まで留学生ばかりだったESLのクラスとは違い、地元アメリカ人が大半を占めるクラスを取り始めました。

日本にいた時私も同じでしたが、大学に行くまで外国人と接することって少ないと思うんです。だから私のような英語が話せるのかどうかもわからないような感じの外国人がクラスにいたって、どうしていいかわからなくて敬遠する人もいました。

その中、自ら頻繁に話しかけてきてくれて、昼食もつき合ってくれて、一緒に遊んでくれる人が現れました。彼女は私を感謝祭のディナーにも呼んでくれ、彼女の家族も私によくしてくれました。

それが、もう10年前。
お互い卒業して結婚して、彼女は一旦州外に引っ越して、また帰ってきてもう4年くらい。

またユタに帰ってきた時から、私は彼女に違和感を感じるようになってしまいました。

まず、会話が続かなかったりチグハグになってしまうこと。反応がないので私の言ってることがわからないのだろうかと私は同じことを何度も言ってしまったり、私が「見せてあげる」と言った物を私があげると言ったと勘違いして「じゃあありがとう」と持って行ってしまったり。

そして気になったのが、こちらに戻ってきてから彼女が作った友達がものすごく感じが悪かったこと。食事会をしても私がわからない話をやたらしたがったり、私を含めた以前からの友人発言を無視したり、その場に同席していた別の友人も同じような印象を持ったと後日になって告白してくれました。

ちょうど転職などで悩んでいたとき、何に誘ってもあからさまに「お金がない」と何度も言われ、じゃあ持ちより料理のパーティ、ポットラックならいいだろうと誘っても同じ回答だったことを最後にこちらから誘うのは控えるようになってしまいました。お金のことでその時は大変だったのはわかるけど、半ば私に「空気読めないのか」と言いたいんだろうかと聞こえてくる「お金ない」。

でも私がひとりぼっちだったときに手を差し伸べてくれた大事な友達です。その縁を大事にしたいし、自分たちはそんなことでは壊れない友情で繋がれているはずだと信じていました。

1年半以上会っていない状態が続いたころ、彼女のお誕生日パーティの招待を受けました。

文面状では、私に会うのをすごく楽しみにしているという文面で、私も嬉しくなって彼女に会うのを楽しみにして出かけました。

共通の友人とカープールしてパーティ会場の彼女の実家へ。
「ひさしぶりー」と3人で立ち話が始まった時、友人がプレゼントのシャンペンを差し出し、「わーい、ありがとう」と受け取ってクーラーボックスに入れました。さあ、次は私の番だとばかりに私は手に持っているプレゼントの箱を胸の高さに両手でもって、「これ、私から・・」と差し出しますが、なぜか話を変えてはぐらかされてしまいました。プレゼントを持ったまま、そのあと何度か同じことを試みますが、彼女はまるで気がつかないふり。私はわけがわかりません。

まあいいか、とベースメントのパーティ会場に降りていき、プレゼントを適当に置き、そこで久々にあった友人達と歓談したあと、一緒にきた友人の元へ私が戻るとその友人は;

「さっき、上手くプレゼント受け取れなくて(私)に申し訳ないって言ってたよ」

はあ?

「なんか、プレゼント受け取るのとか得意じゃないんだって。」

その友人は、私がプレゼントを渡そうとしているのに受け取ってもらえなかった様子を一部始終を知っているので、よーわからんけど、という感じで私に伝えてくれました。

なんか、そういうチグハグなコミュニケーションって、そんなに仲良くしてない人との間でも起こることじゃないんで不可解な感じが否めません。

言えばプレゼント差し出して立ってた私は恥をかかされたわけで。
それを知ってて私には何も言わないけど、一緒にいた友人には取り繕うとしてるというのも納得がいかない。

なんかもう本当にようわからんのです。
なんとか仲を修復しようお互いが感じたのか、向こうからブランチを日曜に計画してきて私も乗り気だったのですが、金曜に自宅に帰ったら空き巣に入られていて、それどころじゃなくてキャンセル。

精神的に落ち込んでいて他人に気を遣えるような状態じゃなかった私の都合でキャンセルさせてもらったんですが、まず友達なのに気を遣うエナジーが必要だと構えてしまっている自分を自覚してしまいました。

一緒にいて気を遣う相手でも、縁というのは自ら一所懸命メンテナンスしていかなければいけないものなんでしょうか。10年も経てば、私も彼女も10年前とは違う人間に成長したということなんでしょうけれど。

でも1年も2年も会ってなくても、会えば必ず「昨日も一緒に飲んでいた」ように意気投合して盛り上がれる友達も日本にいるので、繋がりの深さが違うだけということなのかもしれません。

「縁」というコンセプトにこだわりがあった祖母が生きていたら、相談してみたかったところです。

ユタ南部でのバス事故

Salt Lake Tribune "Three die in van crash near Cedar City"
http://www.sltrib.com/sltrib/home/50081454-76/roden-van-cedar-passengers.html.csp


ほとんどの乗客が車外に投げ出されたということは、みなさんシートベルトしてなかったんでしょう。アメリカでは後ろまでシートベルトはしなきゃいけないというのは広まっているのですが、ここでは徹底されていなかったんでしょうか、残念です。

しかもこの道、制限速度は120キロはあるエリア。
標高が急に上がって天候が急変することもあるエリア。
私も何度も運転したことがあります。


怪我をされたみなさんの早い回復と亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

暑中お見舞い申し上げます

『いやー、日本の夏はもう耐えられないよー』なんか言いながら、結構あの蒸し暑さが恋しくなってきたハシタンです。

乾燥しているので、日が沈めば気温が落ち、窓を全開にして寝れば結構涼しいんです。

母ならきっとエアコンなんていらないって言うと思うのですが、やっぱり週末はきついですね。外の気温が上がる前に窓を閉めても、昼間はやっぱり暑い。来年か再来年にはエアコン入れたいです。セントラル・エアを。

今週上司が休暇中でのんびりしいや責任者としてがんばって仕事してます。

夏のセメスターが終わり、現在テスト期間中。
ぐっと仕事が減ってしまいました。

夏は休みにしたり、バイトする学生さんが多いのですが、夏のセメスターは留学生や州外から着たばかりの学生さんには逃せないセメスター。

なぜならNon-residentの学費は地元のResident学費の3倍くらいするんですが、夏だけはみんなResidentプライス。私も夏休みなど取らずに一般の必須課目をできるだけ取って、春と秋のセメスターでは専門科目を取る、というペースで3年で卒業しました。早く卒業しないと学費は上がるばかり。しかもパーセントであがるから留学生には$300の値上げも$900になっちゃうという仕組み。

2週間後には秋のセメスターが始まります。12月頭まで。
これがこちらでいう新学期にあたります。
新入生がどっと入ります。

仕事は忙しい方が好きなので、待ち遠しいです。

びっくらこいた

先日の親知らず4本抜歯手術に関して保険会社から『歯科医に全額払いました』という手紙が来ました。

そしたらその翌日にその歯科医師のオフィスから$1600の請求書がやってきて、びっくり仰天。これ、14万円くらいでしょうか、日本円で。

詳細を呼んだら、親知らず1本につき$250、とか細かく書いてあるんですよ。ほんでよくみたら、やっぱり麻酔追加されてた。しっかり追加料取られてた。やっぱり夢じゃなかったんだ、私、途中で目が覚めかけてたんだ。ひえー。

それにしても、健康保険に加えて歯科保険(別なのよ!)がついてくる仕事しててよかった。保険がついてこない仕事だったら自腹で払える値段じゃないもの。アメリカでフリーランスのお仕事しているみなさんは、自分で健康保険買ってるわけですよ。水道管工事の専門家から、ミュージシャンから、ライターさんから。

刑務所に入ればお医者さんに診てもらえたりするあたりがアメリカのシステムはかなり矛盾だなあと改めて思うのでした。

 視えるんです

霊感のある漫画家さんのコミックエッセイを拝見してから、彼女の本が欲しいんです。

視えるんです。 実話ホラーコミックエッセイ (幽ブックス)

視えるんです。 実話ホラーコミックエッセイ (幽ブックス)

視えるという友人が私にもいますが、どう視えるのか聞いてみても、曖昧に視えるから曖昧にしか説明できないと言われたのですが、この作家さんの視点からの視え方がわかって興味深いです。

大変だなあ、霊感のある人って。
ほんとそういうのなくてよかったなー、と自分の幸運に感謝。

Dさんはそういうのまっっったく信じない人ですが、私は私に嘘をつく理由もない友人や他界した父の話などを聞いているので、十分あり得ると思ってます。

あと犬と住んでたころ、たまにありましたもん。
誰もいない部屋の隅をじぃーーーーっと見つめて、「何見てんの?んん?どした?」と声をかけてもその一点を見つめて完全無視する愛犬。(普段絶対私を無視しない子)

ガルル、とか唸ったりしたことはないので怖いもんではなかったようですが。


同じ家で実は私も珍妙な体験をしまして。
そこは人工島の新しいマンションのしかも13階。
以前他に誰か住んでいたわけではありません。

祖父母と暮らしていた家に祖父母を残してそのマンションに越したあと、祖父が他界し、祖母がマンションに同居するために引っ越してきました。私にとっては仕事が忙しかった母よりも、幼少時代の時間をたくさん一緒に過ごした祖母です。いつも一緒でした。もうベタベタのおばあちゃん子です。

その祖母も祖父が他界すると後を追うように1年後に亡くなりました。私は祖母の死を乗り越えられず、何年も仏壇の前でめそめそ泣いていました。

祖母が他界した後、高校生でほぼ帰宅部だった私はいつも帰宅一番乗り。犬の世話をしたり勝手にご飯作って食べたりしていました。

ある日、キッチンに立って皿洗いをしていると、ふと誰かがダイニングの方からぐるっと回ってキッチンにくるような気配が。

顔を上げないまま「あ、おばあちゃんか」と思ったものの、すぐに祖母は他界していることを思い出し、顔をあげると、ぐるっと回ってキッチンに入ってくるときにある壁にさっと消えるクリーム色の着物と後ろ帯が見えました。

壁の反対側から、さも誰かが現れるのを一瞬期待した私はそこでまた誰もいないはずであることに気がつきました。

『およよ、今のはなんだ?何を見たんだ?』

しばらく呆然としましたが、妹たち(ワンコです)はおとなしくソファで寝てるし、気味が悪い感じもしないので、ここは都合よく『今のはおばあちゃんだった』ということにしておこう、という結論を勝手につけて、あまりその後は気にしませんでした。


返ってなんかホッとしたというか。
見守ってくれてると、思い込みでもそう思うだけで、祖母の他界をなかなか乗り越えられない私の助けになったと思います。


あと説明できない出来事があったのは、中学のとき。
確か祖父は入院してて意識がほとんどないか他界した後だったと思います。

中学のとき、(今から思えば)鬱だった私は、毎晩帰宅してからご飯だと呼ばれる7時ごろまで、4畳半の自分の部屋に電気もつけずにこもっていました。

こもっていた、というよりは、夕方からずっとラジオを聴きながら天井見つめているうちに、暗くなり、暗くなっても電気をつけようとしなかったという感じです。

私の部屋はマンションの13階の家の14階にあり(メゾネットというやつです)、周りにはマンションも建ってなくて、カーテンもいらないのでしていませんでした。

その日は満月に近かったのか、月明かりだけで部屋が見渡せるほど明るい夜でした。

ところが、月明かりがあたっているはずの部屋の一角が暗いのです。真っ黒なんです。窓の反対側でしかも4畳半の部屋だから、影になっているはずのない場所なんです。

『あれ?おかしいな。』

と月明かりが入ってくる窓の方とその部屋の角を何回も交互に見て、そしてジィーーーーっとその真っ黒な部分を見てもなんでそこが真っ黒な影になっているのか全くわからない。

電気をつけてみると、普段どおりの部屋。

また電気を消してみると、その角はあら不思議、もう影になっていませんでした。


そのときもあまり気味が悪い感じはしなかったので、結局誰にも話さず。まあ、誰かがじっと見てたんだな、くらいに思いました。

今から思うと、祖父だったのかなあ。
父や兄にはすごく厳しかったのに、私にはものすごく甘い祖父でした。痴呆になり始めたころはよく、以前一緒に住んでいた家のリビングでひとりで遊ぶ私を遠くからじぃーーっと見ていた祖父。じぃーっとまた見てたのかな。


ちなみに3歳くらいのとき、私は神戸の某山手住宅街で小さいカラス天狗を視たそうです。(苦笑)まだ知るはずもない山伏の格好や鳥のくちばしのある顔とか細かく説明していたそうです。(母談)

それが「うわーっていっぱいおるから嫌やってあんた言うてたよ」だそうで。



怖い思いはしたことないですけど、視える人って大変だなあと思う今日この頃でした。

親知らず4本抜歯口腔手術その後

日本の友達数名から、親知らず4本一気に抜歯なんて前代未聞だ!と言われました。しかも私の親知らず、4本ともまだ歯茎の中、しかも横向き。

抜歯の2日目3日目が一番つらかったです。
右の顔の腫れ方が尋常じゃなかった・・・。
おなかすいてもヨーグルトとおかゆしか食べれなかったし。

2本ずつ抜いてあの苦しみを2回味わうよりは、いっぺんにやってしまってよかった・・・。

金曜に抜歯、でその1週間後にまた経過を観てもらうはずだったんですが、痛み止めが切れてしまって水曜に診てもらいました。

そこで化膿しかけてる抜歯の後の穴に苦い薬のついたミニバンドエイドみたいなのを巻いてもらい、抗生物質のお薬をもらい、痛み止めの処方の更新ももらいました。

金曜にそのバンドエイドをはがしてもらい、経過もいいのでこれで診察は終わり。このまま何事もなく治癒を待ちます。

この日から、何を食べてもいい、運動も水泳もしてもいいといわれたので通常の生活にもどったのですが、どうも口が縦に開かない。

「練習しといてね」って先生に言われたけど、なんか右の上あごと下あごが、右の歯茎の奥のほうで糸でつながれてしまっているような感覚があり、横に口は開くのに、縦には2センチくらいしか開かない。

これ、治らなかったらどうしよう。
もうバーガーとか食べれないよ。

今日はすっかり腫れも引き、若干右のあご近くに違和感がある程度です。



それにしても、「口小さい、小さい」って先生えらくビックリしてました。手術の大変さをもう同業者に語り継がれてしまっている模様。(汗)

日本人だからだろうか・・・。

試練とは英語でOrdealというのだよ

三十路に入れば、まだ親知らずを抜いていない、という人の方が少ないと思いますが、私もそのひとりでした。いつまで経っても出てこないし、きっと私は親知らずが生えてこない人なんだろうと思っていたくらい。

実際どこかで、下あごが狭い人は生えない新人類だとかなんとか聞いたことがあったのですよ。実際、私の下あごの歯並びは、楕円形じゃなくて、底辺がない台形。(汗)あごに向かってめっちゃ狭くなっていく感じです。

ところが去年歯医者に定期検診に行った折りにレントゲンを撮られ、撮ってみたらば、私の親知らずは歯茎の奥深くで前方に向かって横向きに生えてしたのです。しかも4本とも。水平埋伏智歯っていうらしい。これなんて読むの?(笑)

どーりで歯間がきつくきつくなってるなと。
フロスまでひっかかることもしばしば。

放っておけば放っておくほど、抜くのが難しくなるし歯が前に押し出されるよ、という歯医者さんのアドバイスに青ざめた私は、この親知らず4本を抜く決意をしたのです。


それが4月。
いつもいく歯医者さんはこういう口腔手術はしないので口腔外科医を紹介してもらい、レントゲン渡して、じゃあ6月中にやりましょうという話になりました。
今の健康保険で、年度末の6月末までにやると完全に無料だということで、さらにやる気が出て参りました。


その抜歯というより手術が先週の金曜日。
リカバリーも考えて、金曜が最適だと上司とも相談して決めました。
一応「手術」なので6時間断食。全身麻酔の予定で一人帰宅は無理なので必ず付き添いが必要。


金曜日の朝、緊張している私をよそに、ナースさんはDさんに「30分くらいで済みますから迎えにきてね」とさわやかに説明。4本抜くのにそんなもん?!

奥の部屋の普通の歯科の診療台よりちょっと大きめのリクライニング台に乗せられると、ふたりのナースさんがテキパキと作業を始めます。

「She said she's nervous. 緊張してるんだって、この子」
「Oh, there is nothing to worry about. エー、心配要らない要らない(^_^)」

と軽く会話をしてくれながら、左手には心電気を指にはさみ、血圧計を腕に装着。右では早くも肘の裏をアルコールで消毒。

あー注射きらいなんだよなー。
小学校2年生の時に覚えた「あっち見る作戦」で乗り越えようとか考えているうちに、右手のナースさんにゴムボールを握らされます。

左手にいたナースさんが私の後ろに回って髪をまとめ、ターバンみたいに顔のまわりを布で包みます。そして鼻に酸素用のゴムチューブ装着。

ほんとに手術って感じです。
ちょっと緊張が高まりつつある。

右手のゴムボールをぎゅっと握ってるうちにチクリ。
抜く感じがない。あ、麻酔は注射じゃなくて点滴か。

「See, that was the hardest part. ほら、一番大変なのはこれで終わりよ。」

と点滴のチクリで私の心配ごとは終わりですよ、と優しい言葉をかけてもらったところで、後ろから先生登場。顔も見えんまま軽く挨拶。

ナースさんが、
「You'll feel little light headed. ちょっと頭がフラフラしたような感じになるからね」

と言って私がオッケーと返事したかしてないかというくらいでもう記憶がございません。(笑)




ガリガリガリガリ

右の下あごに異様な圧迫を感じながら、そんな音を聞いたのを覚えてます。きっと私が反応し始めたから、ここでまた点滴の麻酔の量をちょっと増やしたんでしょう、次に目が覚めた時には、もう奥歯にガーゼが挟まってて、ターバンも器具も外されてました。


起こされて普通に起きようとした私を慌てて止めるナースさん。
よく覚えてないんですが、横に付けた車いすに座らせてくれました。


ここでまた記憶がとぎれる。



次に目が覚めたときは、リカバリールームという3畳間みたいな部屋の小さいベッドに寝かされていて、Dさんがよこに座って私の手を握ってました。

抜歯後の注意などの情報が詰まったビデオを観ているので私も観ようとするんですが、またフラフラ記憶が途切れます。

そして先生とDさんが話しているのが聞こえ、30分くらいは横になっていたそうです。そのあと結構スッキリ目が覚めて、Dさんに車に乗せてもらって帰宅しました。

それからなかなか止血できなくて、もらったガーゼに紅茶を浸したりして(抜いたあとの穴で地が固まるのを助ける成分が入ってるんだって)、ひたすらガーゼを1時間ごとに交換してました。

大変だったのはその夜。
血がちゃんと止まらないのでお腹空いても何も食べれない。
そしてジンジンジンジンジンジンジンジン痛い。

処方箋出してもらった痛み止め、オキシコドンを飲む。
これが奥さんすごい効き目!
痛みが圧迫感だけに変わるのです、見事に。

これ、モルヒネと似てる痛み止めなので、気をつけないといけないやつです。このお薬の中毒になるひとが最近アメリカで多いんです。このお薬目当てに薬局強盗とか普通にあります。気をつけて言われた通りかその以下の量を飲んでます。

1日目/2日目はソファで上体を起こしたまま寝ました。寝るっつーか、1時間ごとに起きるっつーか。口が開かないからあまり物も口に入れない。

3日目の日曜日、今度は顔がムクムク腫れてきました。
止血は完了したけど、横になると腫れが枕に当たって痛い。
しかも腫れがすごすぎて口が閉じれないのでよだれがすごい。

ので、タオルをよだれかけにして寝ました。w
4日目の月曜の朝、腫れはまだひどいので欠勤。
この4かで5パウンド近く減量。そりゃそうか。食べてないもんな。

月曜の今朝、まだ腫れてるけどちょっと引いたし、仕事これ以上休めないので出勤。
口もちゃんと閉じられるし。w

右の頬だけえーらい腫れてるので、髪の分け目を左に移して髪で今日は右頬を隠して仕事してました。(笑)


髪の毛よけて見せるとみんなすんごいビックリしてたよー。(笑)
そして気がつかなかったけど、アザも出てるらしい、今日。
誰かに顔を思いっきりぶん殴られたみたいで面白い。(おもろいか?w)
でもきっと本当に殴られたらこんな感じなんだろうなあ。

今は、何でも食べられるようになったらあれ食べようこれ食べよう、そのことしか頭にございません。

コリアンでしょー、ベトナミンのファーでしょー、お寿司でしょー、お好み焼きでしょー、Five Guysのバーガーも食べたいなあ。

減量はあっという間にリバウンドする予定。
うん、それでもいいんだ。
旦那さんがいるっていろんな意味でラク。(笑)