向き合って考える日

昨日のことのようで、遠い昔のことのようであったり。
忘れたいようで、忘れられなかったり。
13年経った今でも、自分が未だに震災に対して複雑な想いを持っていることに気がつかされます。

追悼式ってお葬式と同じで、亡くなった本人よりも生き残った周りの人間のためにあるんだなとおもうのです。不謹慎に聞こえたらすいません、そういうつもりは全くないんです。

辛さや悲しさを乗り越えるためにこういう儀式があるんだなと思うんです。
そんなわけで自宅で今夜はロウソクに火をつけて、母にもらったお釈迦さまにお線香をあげました。普段考えたくないことだけど、この日だけは向き合う気持ちになれるのは、なんででしょうね。

責める相手が誰もいない、、公平も不公平もない自然災害を受け止めて生きていくのは、他の動物と違って知性のある人間には難しいことですね。
何か理由が本当にあったり誰かのせいにできたら、どれだけ簡単になることか・・・。
人間とは「なぜ?」と考えることで知的に進化した動物なんだなあ、となんだかすごい深い考えにたどり着いてしまいました。
どうしたんだ、私!?