今朝、出勤して一番最初に見たニュースが、オリックス仰木監督の訃報でした。
70歳だったというので驚き。見た目からしてももっと若いという印象でした。

仰木監督といえば、私にとってはやはり震災のあった年にオリックスをリーグ優勝に導いてくれたこと。

がんばろうKOBE」をユニフォームの袖につけて、一生懸命試合をする選手を見るたびにものすごい励まされました。
自分たちも被災したであろうに、その年にリーグ優勝するなんて、信じられない話でした。
これが私を含めどれだけの人たちを励ましたか。


あの年は私が春から高校3年生になろうかという年で、学校は長い間再開しませんでした。遅れた分を取り戻すために夏休みもほとんどなく、家庭や学校が避難所になっている状況下では、いくら頑張ってみても現役合格はできず、浪人する人がたくさん出ました。私もそのうちのひとりでした。

翌年は、舗装がぐちゃぐちゃのままの三宮の道を毎日予備校に通いました。
そしてオリックスが今度は日本一。そのときも大変励まされました。
日本一を決めた試合は、神戸ハーバーランドの特設会場で、大きなスクリーンでたくさんの地元の人と観ました。日本一が決まったときはものすごい感動で、ほとんどの人の目には涙がありました。

阪急がオリックスになって以来、神戸の人がオリックスをしっかり応援するようになったのは、震災後からだったような気がします。神戸の人は誰もが、仰木さんに恩があると感じているのではないでしょうか。

野茂やイチローを発掘して育てたのも仰木さん。
仰木マジック」って、うまいこといったもんやなあと、いまさら思ったのでした。


朝っぱらから職場で涙ぐんでしまったよ。
仰木さんありがとう。