いつも泣かされる

毎日新聞のサイトから、こんな記事を見つけました。

http://mainichi.jp/enta/sports/baseball/major/news/20080730k0000e050059000c.html

イチローのこういう記事、特に神戸オリックスブルーウェーブ時代の話が混じると、いつも涙が出そうになってしまう。
今職場でこの記事読んで、涙ぐんでしまった。

1995年の震災の年に「がんばれ神戸」というワッペンを肩につけて、自らも被災したチームがなんとリーグ優勝、そして翌年日本シリーズ優勝。とんでもない勢いで神戸を元気付けてくれたオリックス、そして当時のシンボル的選手がイチロー。思い出しただけでまた涙ぐんでしまう。

2000年の正月、里帰りを終えてユタに戻ろうと関西空港に着くとすごい人と報道陣。ゲートでばったり会ったユタ大学の友人に「イチローがうちらと同じ飛行機でアメリカに旅立つらしいで。」と教えてもらってびっくり。確かにみんなカメラを手にしていた。

イチローは最後に搭乗したので姿を拝むことはできなかったけど、なぜか機内にいた阪神の藪選手を見かけた。(みんなイチローで頭がいっぱいで気がついていなかったのか?)

オリックスはその後96年と97年の受験シーズンに、横浜は川崎の社員研修所を、被災した受験生の宿泊先として無料開放した。震災の後1ヶ月閉鎖を経て、長期的に避難所と化した高校で勉強が遅れ、夏休み返上。実は95年4月に高校3年生になった私たちの学年が、その年一番受験で苦しんだ。浪人生も大量に生まれた。

センター試験直後に被災したひとつ上の学年は、本命試験は済ませてあったし、出身地が被災地というだけで合格に有利になったらしいという噂まで流れ、私たちは羨ましいやら悔しいやら。

私もオリックスの川崎の施設を東京受験の時に利用させてもらった。寮母さんらがお刺身やてんぷらなどの豪華な食事まで用意してくれて、言葉にならない思いやりを実感して感動した。


あれから私は、オリックスイチローには借りがあると思っている。
いつかシアトルまで行って、対面できたら心から「本当にありがとう。ほんまに皆元気もらいました。」と伝えたい。

通算3000本安打オメデトウ。