去り行く命と新しい命

日曜日は教会に行きました。
LDS(モルモン教)の教会です。
といっても私はメンバーではないので訪問者として。というのも19歳の甥がアルゼンチンに宣教に行くことになり、宣教師として現地の言葉の勉強やらも含めた研修の施設、Missionary Training Centerに旅立つ前のお別れのスピーチがあったからなのです。

数週間前、彼のお姉さんが同じようにスピーチする機会があり、彼女はそのMTCでカンボジアベトナム宣教の準備のために勉強しています。
いったんMTCに入ったらもう宣教から帰ってくるまで会えないのよね。

宣教師は自由にメールのやり取りができるわけでもないそうなんです、かわいそうに。手紙はこっちからどんどん出してもよいそうなんですが・・・。

かわいそう、という言葉では言い切れないくらい切ないのが、今彼らのお母さん(私の義理の姉にあたります)が病気をしているのです。

たぶん、彼らが帰ってくるまで持たないであろうくらい病状が悪化しているそうなのです。

別の文化&宗教背景を持つ私には、これがどうしても理解できない。やはり親の死に目にあうことが重要である私のような日本人には、それを差し置いてまで宣教に旅立つこの若者二人のロジックが理解できんのです。

お母さんのそばにいてあげる方が大事なんじゃないの?

そう思えて仕方がない。でもDさんも実は20数年前、同じ経験をしています。病気の母を残して宣教に旅立ってしまい、お葬式にはさすがに帰してもらえましたが、意識不明の連絡があっても、統括していたMission Presidentが本人に伝えず、事後報告のような形で「お母さんが亡くなったよ」と言われたそうです。

Dさんは、連絡が届いていたとしても、帰りたくはなかったらしいですが・・・。

Dさんいわく、当時は宣教師になることが母を喜ばせる一番の行為だと思って旅立ったそうなんです。それが間違いだったといまは思っているみたいですが。

でもこの甥と姪もそう思って旅立つのなら、その気持ちと決意を尊重するしか私たちはできないわけで、トラウマになってのちのち何年もかかって乗り越える苦痛をあえて受け入れようとするふたりを見て、私は胸が痛むわけですよ。私もわかるから。

甥はところどころつまりながらも立派にスピーチをこなし、出会ったときはまだ中学生だったのを思うとずいぶんと大人びて見え、とても感慨深い。

その後は実は奨励されていないという、親戚友達を集めての自宅でのお別れ会。めでたい席であるはずが、やはりみなどこか切ないような雰囲気を漂わせていました。

そんな中特に明るい話題を振りまいてくれたのがDさんの別の甥のお嫁さんと姪っ子B。
彼女らはそれぞれ妊娠8ヶ月と9ヶ月。数え方が違うのか、こちらでは臨月は9ヶ月なのです。

ふたりとも大きくなったお腹を抱え、いろんな人に囲まれながら祝福されていました。

今年は本当に私の周りでベビー・ラッシュ。この二人に加え、私の友人も二人今年出産。あ、そうだ、Dさんの弟さんちでも数日前に3人目の男の子がコロラドで誕生。生まれるかなりまえに名づける人が多い中、珍しく名前はまだないらしい。
これで私は結婚を通して甥と姪合わせて19人だよ。

そこで避けられないのはうちはいつ子供を作るのか、という話題。6人兄弟合わせて子供19人。いないのはDさんだけ。

さあプレッシャーの再来です。まー結婚して3年半になるからまあしゃーないか。

テキサスから来ていたDさんのお姉さんの旦那さんも、教会で隣に座った私をひじでつつきながらからかうのです。

まーDさんの姪や甥が子供をもうけるようになっちゃったくらいだからねえ。

昨夜も生後6ヶ月の赤子を持つ友人宅へお邪魔して、一緒に遊んでて、自分もほしいような気はするのです。

が、まだまだ自分が精進せねばならんのですよ。
三十路を目の前に、考えることはいろいろあるわねえ。